シンプルにアスリート (リオにて)

彼らを特別な人達だと捉えるのは、沢山の沢山の理由がある。フォローすべき、模倣すべき人達。
 
でも、リオデジャネイロで始まったパラリンプックを経験する最高の方法は、彼らを「シンプルにアスリート」と捉えフォローすることだと、今日これまでになく僕は確信している。
「シンプルにアスリート」、この言葉が持つ特別な意味、スポーツを知っている人なら僕が何を意図してるかすぐわかることだろう。
他のことは存在しない、過去は関係ない、彼らがあの地に持ってきたもの・・彼らの苦しみのすべては、強さに、才能に、勝利への思いに移り変わる。
 
ここ数年彼らと、また彼らのことを話す機会が何度かあった。イタリア、トリノにある僕のエキシビジョンスペースADPLOG でパラリンピック選手を写真展として祝う、光栄な機会もいただいた。その写真展の名も「シンプルにアスリート」。スポーツというものへの愛の基盤にある深い価値を発見する一つのいい機会であったし、これが最後の機会でもないだろう。
 
 
パラリンピック選手達にリオが沢山の喜びをプレゼントしてくれることを祈っている。
 
アレッサンドロ